江戸時代から続く伝統のブランド「七ツ梅(ななつうめ)」は、いくつかに変転を経て、灘魚崎郷の小山本家酒造灘浜福鶴蔵さんが「生酛純米酒」として販売していましたが、これを生産終了(2020年3月をもって終売)するとともに、代わって「生酛特別純米酒」として再スタートしたものです。実際には二つは平行して販売されている期間がありました。2019年11月製造。
七ツ梅 生酛特別純米酒 720ml 1,406円
伝統の銘柄を生酛純米から特別純米へ
原料米は兵庫県産山田錦。精米歩合は60%です。酒母は生酛で従来は酵母は協会7号酵母+αでした。今回、変更されているかは不明です。アルコール度は15度。あるとき、同じ「七ツ梅」でラベル違いのお酒が登場したので、何事かと思っていました。「純米」から「特別純米」となった内容も不明です。精米歩合や米種で言えば、以前から「特別」名称表示することは可能だったと思いますが。
燗酒に本質 柔らで静かな味わい
以前の「純米」バージョンは「口当たりからガツンと味わいの来るお酒です。果実的ではない太い酸がたっぷり膨らむ」というものでした。新しいお酒では清々しいリンゴの香りが立ち上がり、”ひや”では口当たりから静かに広がりながら、ピークではたっぷりの酸味が立ち上がります。温めから上燗あたりでは立ち上がりが早くなり、柔らかい口当たりで広がります。やはりピークでは酸味が中心になりますが、米の旨味と甘味がたっぷりと感じられ、ゆっくりとしたキレを引きます。「全国燗酒コンテスト2018プレミアム酒部門最高金賞」だそうですが、やはり燗酒に本質があります。以前と比較すると柔らで静かな味わいに変化しているようです。
「七ツ梅」ブランドの300年の変遷(再掲)
「七ツ梅」は元禄7年(1694年)には存在していたようで、元は「摂州伊丹の酒」として木綿屋が蔵元になっていました。当時、伊丹酒全盛の時代で、江戸への下り酒で人気を博し「酒は剣菱、男山、七ツ梅」と称されたそうです。その後、酒造中心地が伊丹から灘に移るなかで、木綿屋も衰退し、天保13年(1842年)には現在の埼玉県深谷市にあった田中藤左衛門商店(近江商人)に銘柄が譲渡され、ここで製造が続けられました。葛飾北斎や北川歌麿の作品にも登場し、天保年間(1831~1845年)には大奥御膳酒となったとあります。
この田中藤左衛門商店も時代の変遷のなかで平成15年には廃業。七ツ梅を譲渡するとこになります。
一方の灘浜福鶴蔵も変転があります。播州でみりんなどを造っていた合田純造氏が1950年に神戸市兵庫区で「福鶴」銘柄で酒造業に参入。後に福鶴酒造を設立。さらに灘魚崎郷で明治初期には「大世界」銘柄を造っていた酒蔵を買い取り、「福鶴」ブランドを醸造していました。しかし、日本酒の低迷期に入って経営が悪化。1989年には埼玉の世界鷹小山本家グループに入ります。経営立て直しの矢先、1995年には阪神淡路大震災で酒蔵は全壊。翌年3月に社名を浜福鶴とし現在の四季醸造・観光蔵を建設。「七ツ梅」ブランドを正式に譲渡されます。平成25年には㈱小山本家酒造灘浜福鶴蔵となっています。
新しい「七ツ梅」の開発-あくまで料理を引き立てる脇役(再掲)
しかし、このお酒は往年の復刻酒ではありません。酒蔵のホームページにある開発者のコメントによると、「歴史ある『七ツ梅』の銘柄を受け継ぐことになり、いったいどんなお酒を造れば良いのか正直迷いました。ある時、近所の小売店さんのご主人に相談したところ「じゃぁ一緒に飲みに行こう」という事になり・・」と、ここで「そのご主人は、料理と酒の相性を通じて『酒はあくまで料理を引き立てる脇役であり主役では無い、料理や素材の持ち味を引き出し旨味を増幅させるためのものだ。』ということを、私に伝えたかったのです。・・・『目から鱗』の思いでした」というお話で「ようやく私は、『七ツ梅』の味をどうするべきか分かったのです」と記されています。従って、銘柄の伝統は継ぎつつ、新しく設計し直したお酒ということになります。