西條「天野酒 古式づくり 僧房酒」28BY 大阪府河内長野市

13世紀からはじまり15世紀から16世紀、室町時代から安土桃山時代にかけて一世を風靡した僧坊(房)酒のうち、天野山で造られた天野酒を復刻したお酒です。金剛山の麓、河内長野市の西條さんは天野山金剛寺の地元にあります。平成30年1月製造です。
天野酒 古式づくり 僧房酒 300ml 1,800円

Sobosyu was built in the temple from the 15th century to the 16th century and prospered greatly. This AMANOSAKE reproduced the recipe of the time, it is manufactured by Saijo Brewery of Kawachinagano-city. The characteristic of this alcohol is rich sweetness and sourness. This sake uses 90% polished rice Yamada Nishiki. The manufacturing method is 2dan-kake method. It is also characterized by very little addition of water.

「薬効があるんじゃないか?」と思うほどの甘味

濃厚な黄褐色の色づき

圧倒的な甘味が終始全体を支配します。穏やかでもきめ細かくもない、重量感とザラっとした質感を持った濃厚な甘味が貫きます。「薬効があるんじゃないか?」と思うほどです。日本酒度は-84。一方で、後半には甘味が収束を見せて、豊穣の余韻を残しながら、後背に隠れていた酸度3.0の酸が意外に爽やかなキレを見せます。甘味を本質としながら、低精米・少汲水・熟成酒に通じる香味と15度のアルコール度と4.0のアミノ酸度がつくる濃醇な複雑さの片鱗が端々に現われます。甘味が話題になることが多いですが、この不思議なキレ味が往時に思いをはせることのできるお酒です。

古来の技法と現代の技法の組み合わせ

このお酒はかつての僧坊酒の味わいを現代に蘇らせようとしたものです。ただし、当時の技法を正確にトレースしようとしたものではなく、現代の酒蔵での酒造ベースにのせるため、古来の技法と現代の技法を組み合わせて、最終的な結果を往時の僧坊酒に近づけるという研究の成果として登場したものです。以前は抽選販売になることもありましたが、今年は数量限定ではあるものの通常販売になっています。

90%精米、2段掛け、50%の汲水歩合が要諦

蔵内の蒸米、放冷の設備

原料米は山田錦で精米は自家精米。当時を勘案して90%精米以下の両白(麹、掛)となっています。この精米歩合の麹では通常の破精込みは無理なので、技術上の工夫があると思います。酒母は速醸で酵母は協会701号です。ここは現代の技術によるところ。醪は2段掛けで、汲水歩合50%です。この部分が僧坊酒復刻の要諦となる部分です。90%の低精米で米が溶けず酒母が涌きつかない部分を速醸でワープしながら、2段掛けと極度に低い汲水で、おそらく通常とは全く異なる醪の経過をたどるものを見事に仕上げたというのがこの僧房酒です。多くの手間と粕歩合が40%にもなるという効率の悪さを考えれば、この値段も当然でしょう。酒粕も「まっ茶色で売り物にはならない」そうで、一度、この醪も見てみたいものです。

御酒之日記 天野酒の項

長享3年(1489年)に著わされた御酒之日記の天野酒の項は
「あまの、にかもなきのうまい(能米)一斗一夜ひやし候、あけの日ニ能々むし(蒸し)、これも冬之酒ニ候間、人はたにてかうし(麹)六升合作入候、水一斗ハか(計)り入候、席(蓆か)ヲかけて可置候、四五日程内くつるき候ハゝ、成出き候ハゝ、小合をすへし、是もからミ出来候ハゝ、よいより米一斗ひやし、あけの日能々むし、これも席(蓆か)之上ニて能々さまし、かうし六升合、以前作候酒に入候、水一斗かきませ候、わき出来候ハゝ、かめ二ニくミわけ候、米三斗むしてあいてしかけ候、かうしは六升如前、口伝秘々」
と記されています。他の酒の記録に比べてあっさりしており、特に前半部分がよく理解できません。これで酛ができるのか?

天野酒の名跡の復活と南部杜氏への変更が転機に

河内長野の地で享保3年(1718年)に創醸。創醸期より明治末期までは「三木正宗」、その後、 大正・昭和を通しては「波之鶴」の銘柄をブランド名にしていたところ、昭和46年に「天野酒」を復活します。「天野酒」の名はしばらく途絶えていたところ、灘の大手酒蔵から名跡復活の打診が天野山金剛寺にあったところ、復活するなら「地元の酒蔵で」という話にまとまり、「天野酒」ブランドが誕生しました。以前は但馬杜氏が大阪酒らしい濃醇な酒質を造っていたところ、あまり売れず、南部杜氏となり淡麗な酒質に切替えてから、差別化ができて売り上げも伸びたということです。現在は大阪南部を代表する酒蔵として関西を中心にしつつ、「天野酒」の名跡とともに全国に名が知られるようになっています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA